【アルフレッド・アドラーの格言&名言集】個人心理学の創始者による心に響く言葉たち

あらゆる行動には目的がある。

そうですよね。これまた突き詰めて考えてみると、目的のない行動なんてあり得ないと思います。

そうすると、行動することこそが目的を達成するための唯一の方法であることを認識できますね。

 

暗いのではなく、優しいのだ。

のろまではなく、丁寧なのだ。

失敗ばかりではなく、たくさんチャレンジをしているのだ。

すごく感銘を受けた言葉です。

何事も否定的に見るのではなく、肯定的に見ることによって優れている部分が表面化してくるものですね。

例えば、「早けりゃ良いってもんじゃないよ」ってことです。

 

たとえ不治の病の床にあっても、天を恨み泣き暮らすか、周囲に感謝し余生を充実させるか、それは自分で決めることができる。

確かにそうかもしれませんが、これは実に重たい例えですね・・・。

後者の選択ができた人は、ものすごく強い人だと思います。でも、例え前者の選択しかできなかったとしても、決して責められることじゃないですよね。

これは理想であって、その理想的な選択をする方法を教えてはくれないのです。なぜなら、それは本人の課題なのであって、他人が踏み込める領域ではないから・・・。

アドラー流に言えば、そうなるのですかね?

 

人は正しいことをして注目されないと、ときに「負の注目」を集めようとする。

人生を惨めにするような努力はやめるべきだ。

なんだか、どこかの国の政治家や権力者に聞かせてやりたい言葉ですね。

 

敗北を避けるために、ときに人は自ら病気になる。

「病気でなければできたのに」と言い訳して、安全地帯に逃げ込み、楽をするのだ。

この場合の「敗北」という言葉の定義は、すごく広いんだろうと思います。幼い頃、私も病気を言い訳にして逃避した経験が何度もあります。

そう言えば、窮地に陥った政治家や権力者もまた、これに似た「入院」という手法をちょくちょく使いますよね(笑)。

 

劣等感を抱くこと自体は不健全ではない。

劣等感をどう扱うかが問われているのだ。

人間が生きて行く以上、劣等感を抱くのはあたり前のこと、そして、劣等感を抱くのは、何か目標を持っていることの証でもある、という先述の言葉がありました。

劣等感をバネにして飛躍するもしないも、それはその人の心持ち次第なのですよね。

 

強がりはコンプレックスの裏返し。

これ、分かる気がします。

でも、相手によっては、自分の弱さを素直に認めてさらけ出すのも意外にスッキリするものです。

 

 

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もっとも重要な問いは「どこから」ではなくて「どこへ」である。

過去ではなく、未来。アドラーの言うことは一貫してますね。

 

子供は感情でしか大人を支配できない。

大人になってからも感情を使って人を動かそうとするのは幼稚である。

否定するのではなく「幼稚だ」と評価するにとどめる辺り、冷静ですね。

大人になっても感情的な人はいっぱいいますが、これもやはり自分自身の課題であって、幼稚な己に気づき、それを嫌だと思うなら改善すれば良いだけの話なんでしょう。

 

使い続けたライフスタイル(生き方の癖、性格)が支障を来しても、人はそれを変えようとはしない。

現実をねじ曲げてでも、自分は正しいと思い込む。

自分の性格やパターンって、年齢とともに変えるのが難しくなるものですよね。

でも、問題の原因がそこにあるのなら、改善することが望ましいのはわかっているはずなんです。

 

悩みをゼロにするには、宇宙でたった一人きりになるしかない。

アドラーは「全ての悩みは対人関係の課題だ」と言っています。

悩みをゼロにしたいなら、対人関係が全く存在しない環境に身を置くしかないということですね。

 

あなたのために他人がいるわけではない。

「○○してくれない」という悩みは、自分のことしか考えていない何よりの証拠である。

これ、とかく陥りがちな心理状態ですよね。

そこで、周囲の人間が自分のために存在するわけじゃないという当然のことを理解できれば、余計なイライラを感じないで済むのかも知れません。

 

配偶者を従わせ、教育したいと思い、批判ばかりしているとしたら、その結婚は上手くいかないだろう。

これ、言うまでもなく当然のことですね。

 

子どもは親が貼ったレッテル、たとえば「しっかりした子」「甘えん坊」「おてんば」「恥ずかしがり屋」などに対して過剰に応えようと努力する。

自分の子供時代を思い起こすと、確かにそんな心理状態だったような気がします。

このレッテル貼りを上手に利用すれば、幼少教育にも役立つものなんですかね?

 

 

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誰かが始めなければならない。

他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関係がない。

私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。

他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。

アドラーは更に、

「見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくても、あなたから始めるのだ」

とも言っています。

 

できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれないだろう。

今の自分を認める勇気を持つ者だけが、本当に強い人間になれるのだ。

これは個人的に響く言葉です。

取り柄って、人それぞれにあるものだと思うし、「あいつに出来てオレに出来ないなんて・・・」と嘆いている暇があったら、別の取り柄を見つける方がずっと有意義だと思います。

それから、今の自分を認めるのは勇気のいることですが、今の相手を認める寛容さも大切なんじゃないかと思います。

 

人の心理は物理学と違う。問題の原因を指摘しても、勇気を奪うだけ。

解決法と可能性に集中すべきだ。

ここで言う「勇気」もまた、アドラー流に「困難を克服する活力」を意味するのでしょう。

ただ指摘するのではなく、さりげなく解決方法を提案すると良いみたいですね。

 

自分だけでなく、仲間の利益を大切にすること。

受け取るよりも多く、相手に与えること。

幸福になる唯一の道である。

自分勝手な考え方ではいけない・・・アドラーは一貫してそんな意味のことを言っています。

得ることより与えることこそが幸福になる方法なのですね。

 

究極的には、われわれの人生において対人関係以外の問題はないように見える。

アドラーは全ての悩みの根本は対人関係にあると言っています。だから、悩みをゼロにしたければ宇宙で1人きりになるしかないと・・・。

確かに、何事も相手があるから問題化するわけだし、悩むことにもなるんですよね。

 

健全な人は、相手を変えようとせず自分が変わる。

不健全な人は相手を操作し、変えようとする。

必ずしも自分を変えることが良いことだとは思いませんが、後者は確かによろしくない気がします。

 

人生が困難なのではない。

あなたが人生を困難にしているのだ。

人生はきわめてシンプルである。

世の中、考え方1つでガラッと変わって見えるものですよね。

とは言え、社会が複雑になって来ていることは間違いないように思うし、少なからず人生に影響を与えているのも間違いないのでは・・・?

 

 

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