「仕事で失敗しませんでした。働かなかったからです」「人間関係で失敗しませんでした。人の輪に入らなかったからです」。
彼の人生は完全で、そして最悪だった。
・・・でしょうね。
失敗を恐れて行動しないのなら、そこには何にも生まれ出ないでしょうし、面白くも何ともない生活になることでしょう。
勇気とは困難を克服する活力のことだ。
勇気のない人が困難に出会うと、人生のダークサイドへと落ちていってしまうだろう。
自暴自棄に陥って犯罪に手を染めた人々のニュース映像なんかが頭に浮かびます・・・。
「勇気とは何か?」その定義には諸説ありますが、ここに言う「困難を克服する活力」も有力な候補の1つですね。
自分の不完全さを認め、受け入れなさい。
相手の不完全さを認め、許しなさい。
自分が完全ではないことを自覚すれば、相手の誤ちも許せるのかも知れません。
でも、立場によっては、そんなことを言っていたら先へ進めない状況に陥ることもあるでしょうね。
理不尽な上司や学校の先生に無理矢理認めてもらう必要はない。
市場価値の高い人になればいい。
より大きな共同体で考えればいいのだ。
これは、世間の逆境に悩む子供達にこそ言ってあげたいと思います。
例えば、小学生は小学校こそが世界の全てであるかのように考え、そこに生じた悩みを過剰に深刻に考えがちです。
世界はもっともっと広いし、小学生時代なんか人生のほんの一瞬だということを、なんとか分からせてあげたいものです。
大切なことは共感すること。
共感とは、相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じることだ。
やはり、相手の身になって考えることが肝心なんですね。これ、全ての人間関係に言えることだと思います。
まだ無理だと思ってもやらせてみる。
失敗しても「今度は上手くできるはず」と声をかけることが大切だ。
教える側も、教わる側も、思い込みや決め付けは禁物ですね。
信用するのではなく、信頼するのだ。
信頼とは裏付けも担保もなく相手を信じること。
裏切られる可能性があっても相手を信じるのである。
信頼する気持ちが相手にも伝わると、きっと良い関係が築けるんでしょうね。
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妻の機嫌が悪いときに、夫が責任を感じてはいけない。
不機嫌でいるか上機嫌でいるかは、妻の課題である。
その課題を勝手に背負うから苦しいのだ。
自分の課題、他人の課題、こういう表現がアドラーの言葉には散見されます。
他人の課題に足を踏み入れるべきではない、というのは、こういう意味からも正しいのでしょう。
あなたが悩んでいる問題は本当にあなたの問題だろうか。
その問題を放置した場合に困るのは誰か、冷静に考えてみることだ。
これもまた、自分の課題、他人の課題という問題を別アングルから捉えた言葉ですよね。
もし他人の課題であったのなら、そこに勝手に足を踏み入れて悩む必要性はないのです。苦しくなるばかりだから。
間違いを指摘せず、原因研究という吊し上げもせず、「こんなやり方はどうかな?」と提案する。
それこそが、相手を育てる有効な方法である。
提案という形でより良い方法を示し、相手が自分の方法と比較して気づきを得るよう促す、ということなんでしょうね。
人は人生の敗北を避けるために、あらゆるものを利用する。
良い意味にも、悪い意味にも取れますね・・・。
ピンク色のレンズのメガネをかけている人は、世界がピンク色だと勘違いをしている。
自分がメガネをかけていることに気づいていないのだ。
偏見や先入観で物事を判断してしまう状況を「色眼鏡で見る」なんて言いますが、まさにこれを言っているのでしょう。
自身の偏見に気づけたなら、それはきっと新しい前進なんだと思います。
「わかっているけどできません」とは、単にやりたくないだけだ。
でしょうね(笑)。
人は失敗を通じてしか学ばない。
確かに失敗から学ぶことの方が多いとは思います。
でも中には、成功した理由を自己分析して更に活かせる人って存在するんですよね。
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あなたが劣っているから劣等感があるのではない。
どんなに優秀に見える人にも劣等感は存在する。
目標がある限り、劣等感があるのは当然のことだ。
目標に向かっているということは発展途上なわけで、自分より勝っている他人がいるのは当然だし、それに比べて劣等感を抱くのも自然なことなんですよね。
そういう意味で逆の視点から言えば、劣等感を抱くということは目指している何かがある、何かしらの目標を持っている、という前向きな状態にある証にもなるわけです。
人間であるということは、劣等感を持っているということだ。
先程の言葉に照らして考えると、すなわち「人間である」ということは、目標を持って生きていることを言うのかも知れませんね。
人間は、自分の人生を描く画家である。
あなたをつくったのはあなた自身。
これからの人生を決めるのもあなただ。
何を描くか、何色に塗るか、全部自分で決めることだし、その出来栄えに責任を持つのも自分自身なんでしょうね。
「親が悪いから」
「パートナーが悪いから」
「時代が悪いから」
「こういう運命だから」
これらは責任転嫁の典型的な言い訳である。
肉親を悪者扱いするのは嫌ですが、私はよく「政治が悪いんだよ」と言います(笑)。
劣等感を言い訳にして人生から逃げ出す弱虫は多い。
しかし、劣等感をバネに偉業を成し遂げた者も数知れない。
私は、願わくば後者でありたいものです。
「みんなが私を嫌っている」
「今回駄目だったから次も駄目だ」
という思い込みは、冷静に立証すれば消えていく。
こうした負の思い込みを冷静に客観視できるなら、いずれきっと成功するのでしょうね。
嫉妬でパートナーを動かそうとすれば、いずれ相手は去って行くだろう。
大人なら理性的に話し合うべきだ。
やきもちを焼いている状況のことを言っているのかな・・・?
嫉妬心は理性を破壊するって言いますからねぇ~・・・。
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