【ボブ・ディランの格言&名言集】アメリカの伝説的ミュージシャンによる心に響く言葉たち

 

ボブ・ディラン(Bob Dylan)

1941年5月24日 ~ 現在

 

 

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ボブ・ディランのプロフィール

ボブ・ディランは、ユダヤ系アメリカ人のミュージシャンです。

出生名は、ロバート・アレン・ジマーマンです、後に自ら法律上の本名もボブ・ディランに改名しています。2016年歌手として初めてノーベル文学賞を受賞しました。

多数の楽曲により、1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたり多大なる影響を人々に与えてきました。現在でも、「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100公演ほどのライブ活動を中心にして活躍しています。

グラミー賞やアカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たしています。また長年の活動により、2012年に大統領自由勲章を受章しています。

1941年5月24日、ミネソタ州ダルースに生まれます。幼少時より家にあったピアノを独習。レコード店に入り浸り、ギターをかき鳴らし、ピアノを弾いて育ちました。

1961年冬、大学を中退してニューヨークに出てきた彼は、グリニッジ・ヴィレッジ周辺でフォーク・ソングを聴かせます、やがてハリー・ベラフォンテのバックで初めてプロのレコーディングを経験します。

1964年頃からマリファナなどのドラッグの影響が、コンサートやレコーディングでも見られました。1965年から1966年にかけてエレクトリック楽器を取り入れた作品を矢継ぎ早に発表しました。絶頂期を迎えていた1966年に、ニューヨーク州でオートバイ事故を起こします。重傷が報じられ、すべてのスケジュールをキャンセルして隠遁しました。翌1967年からは、ウッドストックにこもってレコード会社向けデモテープの制作に打ち込みます。

1974年、かつてのバック・バンドだったザ・バンドを従えてと共に全米ツアーを行いました。一連のスタジアムコンサートツアーを終えたボブは、1988年より小さなホールにおいて最小限のメンバーで即興性を重視したツアーは、ネヴァー・エンディング・ツアー (Never Ending Tour) 、と題されました。

1990年に『アンダー・ザ・レッド・スカイ』を発表後、ボブはその後7年間自作曲のスタジオ・アルバムを作りませんでした。

1997年、7年ぶりにオリジナル・アルバム『タイム・アウト・オブ・マインド』発表、グラミー賞年間最優秀アルバム賞を受賞しました。

2002年ツアーより、ボブはほとんどギターを弾かなくなり、もっぱらキーボードに専念するようになりました。

レコードデビュー50周年を迎えた2012年には、アメリカ大統領のバラク・オバマより大統領自由勲章(文民に贈られる最高位の勲章)が授与されました。9月には、35作目となる『テンペスト』をリリースしました。

2016年10月13日、ノーベル文学賞授与が決定。同月29日に授賞を受け入れると発表したました。2週間も沈黙し続けた理由について、「あまりの事に、言うべき言葉が見つからなかった」と答えています。

引用元:Wikipedia 一部編集

 

 

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ボブ・ディランの格言&名言集

映画の中のジェームス・ディーンやマーロン・ブランドを知ることで、過去と縁を切ることができた。

 

レコードは買わず、店で試し聴きした。

一度か二度聴けば覚えてしまうんだ。

 

地下鉄の中でもどこでも歌を作った。

話しながらでも歌を書くことができた。

 

ラジオを聴くようになって、町に出たいと思うようになった。

 

時間を止めようと人はいろんなことをする。

しかし、そんなことはできない。

 

悪魔と取引きして、一夜にして変わったんだ。

ミネアポリスに帰ると、その変わりぶりにみんな驚いていたが、闇と取引きした、ということにしておいた。

 

フォークソングは、古い歌を作り変えることができる。

ぼくは、それにのっとって曲作りをしているだけだ。決して画期的なことじゃない。

 

 

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誰も踏み込んでいない芸術的領域に入っていきたいと思っていた。

 

なぜ超現実的な曲を書くのか。他のパフォーマーだって答えてはいない。

だが、マスコミは質問をやめない。

 

いま、ロックだと思われているものは、ロックの墓石なんだ。

それが10億ドル単位のビジネスになっている。

こんな話まじめに聞いても無駄だよ。

 

政治はエンターテインメントだよ。

あれはスポーツだ。

 

私の作品はただの歌だ。分かるだろ。教会の説教ではないんだ。

歌を熟考すれば、私が何かについてのスポークスマンでないことが分かるはずだ。

 

実際のところ、我々はみんな間違った側に立っている。

 

僕の持っている可能性の50パーセント、時にはもっと少ないパーセントしか生きていないんじゃないかって考える時がある。

 

 

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