【アルフレッド・アドラーの格言&名言集】個人心理学の創始者による心に響く言葉たち

感情は車を動かすガソリンのようなものだ。

感情に支配されるのではなく、利用すればいい。

元プロ野球選手の長嶋茂雄氏が残した、「プレッシャーを楽しめたらホンモノだ」みたいな言葉を思い出しました。

意味合いはずいぶん違いますが、感情をコントロールするという意味では相通じる部分もあるような気がします。

 

「私は○○である(自己概念)」

「世の中の人々は○○である(世界像)」

「私は○○であらねばならない(自己理想)」

性格の根っこには、この3つの価値観がある。

これはじっくり思い返してみないと難しい話ですね。

例えば、私は自堕落な生活を送っている、でも周囲の人は皆働き者だ、ならば私も定職に就いて生活を安定させなければ・・・みたいな?

つまり、「現状の自分」と「世の中の人々」を比較することで「理想の自分」をイメージする、という価値観の流れがあって、それが性格(アドラーの言うライフスタイル)を形成する、ということでしょうかね?

 

(親に)ガミガミ叱られ続けた者が暗い性格になるとは限らない。

親の考えを受け入れるか、親を反面教師にするかは、自分の意志で決められるからだ。

これはなかなか難しい話だと思います。

自分の意志とやらが確立する前にガミガミされたら、暗く歪んだ性格になったとしても無理もないことのように思います。

ガミガミする親と比較する対象が身近に存在する、あるいは気づかせてくれる人がいるのなら、自分で意思決定できるようにもなるとは思うのですが・・・。

 

生まれ変わる必要はない。

感情の使い方を変えればいい。

・・・・・・いずれにしても、自分を変えなければいけないようです。

 

交友や愛の課題における失敗から逃げるために、必要以上に仕事に熱中する人がいる。

そういう人は週末の休日さえ恐れる。

友人関係にせよ、恋愛にせよ、失敗を恐れて逃げるな・・・、ということを言っているのかな?

 

兄弟間で得意分野が異なるのには理由がある。

それぞれが違う分野で認められようとするからだ。

う~ん、そういう兄弟もいるでしょうけれど、兄に感化されて同じ道に進む弟や妹もいますからね。

それに、もともと興味の対象が違うことだってよくある話だし、必ずしも当てはまる言葉じゃないように思いますが・・・。

人は貢献感を感じ、自分に価値があると思えるときにだけ勇気を持つことができる。

突き詰めて考えれば、そうなんですかね・・・?

 

 

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相手に間違いをわからせるには、親しみのある話し合いをすればよい。

大切なのは、それができる信頼関係を築くことだ。

これはその通りだと思います。

嫌いな相手、不信な相手に何かを指摘されたり諭されたりしても、不愉快になるだけですもんね。

 

誰かが始めなくてはならない。

見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくても、あなたから始めるのだ。

ついつい損得勘定に走って、「どうして私がやらなきゃならないんだ!?」なんて思いがちですが、どうせ誰かが始めなければならないのなら、自分が一番手に名乗りを上げるのも良いですね。

 

人は居場所がないと感じると、精神を病んだり、アルコールに溺れたりする。

他者に貢献することで、居場所を確保すればいい。

誰かのために貢献できる場を見つける・・・。

私はストレス社会に対応できずに精神を病んだことがあるんですが、20年以上寂しい思いをさせていた実家で一人暮らしの母と同居することになり、今さら大切な居場所に気付かされた心境です。

おかげで私の体調は回復してきているし、母にも活気が見られるようになった気がします。

 

自分と違う意見を述べる人はあなたを批判したいのではない。

違いは当然であり、だからこそ意味がある。

共感してくれる人とばかり付き合っていると、偏って自分を見失うことになりますよね。

とかく意見が合わない相手に議論を持ちかけて熱くなる場面を目にしますが、異なる意見にも耳を傾けて、冷静に考えをめぐらしてみるのが良いのだと思います。

 

失敗や未熟さを指摘してはいけない。

できないからといって取り上げてもいけない。

相手の勇気を奪ってしまうからだ。

自ら困難を克服する機会を奪ってしまうのだ。

アドラーは、「勇気」を「困難を克服する活力」であると定義しています。

なので、失敗したから、未熟だからと言って取り上げることは、その人の勇気を奪うことに繋がると言うんですね。

 

人の行動の95%は正しい行動である。

しかし私たちは、当たり前だからとそれを無視してしまう。

わずか5%しかない負の行動に着目してはいけない。

これは「言われてみれば・・・」という、けっこう斬新な指摘だと思いました。

 

命令口調を止めて、お願い口調や私を主語にして伝えるだけで、相手に勇気を与えられるだろう。

しつこいようですが、アドラーいわく「勇気 = 困難を克服する活力」です。

互いの関係性にもよるでしょうが、命令口調ではなく、依頼という形で伝えれば、相手は悪い気はしないし、なかなか断れないものですよね。

 

 

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甘やかすと相手の勇気を奪ってしまう。

手助けしたり、チヤホヤしたりするのではなく、独り立ちの練習をさせなさい。

これもまた、「勇気 = 困難を克服する活力」として表現した言葉だと思います。

自発的に、自力で乗り越えようという意志を育てるべきなのでしょう。

 

どのように感じるかはあなた次第だ。

何につけ、感じ方は他人に矯正されることはあっても、強制されるものではないですからね。

 

陰口を言われても嫌われても、あなたが気にすることはない。

相手があなたをどう感じるかは相手の課題なのだから。

アドラーのこの「課題」という考え方は実に合理的で納得させられます。

こう考えることによって肩の荷が下りるような気がします。

 

相手を他人と比較してはいけない。

ほんのわずかでもできている部分を見つけ、それに気づかせることが重要だ。

人にものを教えるときのことを言っているのだと思います。

その人が抱えている課題はその人だけの問題であって、別の人と比較しても何の解決にもならないんですよね。

自ら変わりたいと思い努力をすれば、性格は死ぬ1日、2日前まで変えられる。

ここで言う「性格」を、アドラー風に「ライフスタイル」のことだと考えて良いのか判然としませんが、いずれもその気になれば、意識のある限り変えることは可能だということでしょう。

 

誰でも、どんなことでも成し遂げることができる。

可能性の話としては間違いのないことで、この言葉に勇気(困難を克服する活力)を見出す人だっているはずです。

 

強く見せる努力は止めて、強くなる努力をすべきだ。

虚像の強さではなく、実像としての強さを求めるべきですよね。

 

 

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