【池波正太郎の格言&名言集】時代小説家で美食家の心に響く言葉たち

 

池波正太郎

1923年1月25日 ~ 1990年5月3日

 

 

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池波正太郎のプロフィール

池波 正太郎は、戦後を代表する時代小説・歴史小説作家です。

『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国江戸時代を舞台にした時代小説を発表する傍ら美食家・映画評論家としても著名です。

生い立ちは、東京市浅草区聖天町に生ます関東大震災が起こり、埼玉県浦和に引越し、6歳(1929年)まで同地で過ごします。その後、浅草永住町で小学校時代を過ごしました。

図画に興味を抱いていた正太郎は、浮世絵師、日本画家としての将来にに憧れます。

1935年(昭和10年)、西町小学校を卒業後に商店、ペンキ屋を経て、1942年(昭和17年)に国民勤労訓練所に入所しました。

この頃に読書、映画、観劇、登山や旅行を楽しみ、剣術道場や食べ歩き、吉原で遊蕩にふけるなどしました。

太平洋戦争(1941年12月7日 ~1945年9月2日)中に、「婦人画報」の朗読文学欄にスケッチや小説を投稿入選しています。

終戦後、1946年(昭和21年)新聞演劇文化賞に向けて戯曲「雪晴れ」を執筆、同作品は入選第四位でした。

1948年(昭和23年)長谷川伸(はせがわしん、日本の小説家、劇作家)を訪問、翌年より本格的に劇作を師事し、以後、新国劇と関係を深めました。作品は『檻の中』(1952年)、『渡辺華山』(1953年)などを提供しています。

転機は1956年「大衆文芸」誌、11月・12月号で『恩田木工(真田騒動)』です。歴史小説・時代小説を執筆活動の中心に据えるようになりました。

『恩田木工』は翌年の直木賞候補となるものの落選。計5回の直木賞候補作がありましたが選考委員であった海音寺潮五郎(かいおんじ ちょうごろう、日本の小説家・作家)の酷評もあり受賞には至らなかったようです。

その後1960年、「オール讀物」6月号で発表の『錯乱』によって直木賞を受賞しました。
1985年(昭和60年)、紫綬褒章受章。
1988年(昭和63年)、第36回菊池寛賞。
晩年は数多くの時代小説、歴史小説が人気となり、ドラマ化されるなどテレビ放映されています。

引用元:Wikipedia 一部編集

 

 

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池波正太郎の格言&名言集

未熟ということは大切なんだよ。

僕だって未熟。

天狗になったらおしまいだよ。

気の持ち様のことを言っているんですね。慢心して天狗になったら成長は止まるし、周囲からの見る目も白くなっていくことでしょう。

同じような言葉は多くの人が残しています。それでも、どんな分野においても調子づいて天狗になる人は多いようで、誰かが諭さなければいずれ自滅することになるんですよね。

物事に対して謙虚に接し、未熟を自覚できて初めて伸びしろが増えるものだと思うのですが・・・。

 

人間の欲望は際限もないもので、あれもこれもと欲張ったところで、どうにもならぬことは知れている。

一を得るためには、一を捨てねばならぬ。

自分にとって本当に大切なもの、必要なもの、それを理解できていれば闇雲に欲しがったりはしないものなのかも知れません。

優先順位が上のものに出会ったのなら、何かを犠牲にして手に入れるべきであって、両方とも手中にしたいなどと欲張ったところで、それを両立できるだけの器がなければ持て余すだけなんですよね。

 

どこにも、甘ったれが増えるばかりだ。

甘ったれの日本になってしまいつつある。

物事に我慢ができない甘ったれの私としては、実に耳が痛い言葉です・・・。

 

日本は民主主義になって「自由」とやらを得たが、その「自由」という言葉の空しさを知ったばかりでなく、人びとの心は「詩情」を失って乾ききってしまった。

人間という生きものがもつ矛盾は、尽きる事を知らない。

得たものがあれば、必ず失うものがある。

人って、多少の抑圧がなければ詩情を湧き起こさないものなのでしょうか・・・。

「自由とは何ぞや」という永遠のテーマが、戦後の日本にも生まれ始めたのかも知れません。

 

近頃の日本は「白」でなければ「黒」である。

その中間の色合いが全く無くなってしまった。

その色合いこそが「融通」と言うものである。

日本の文化って、その表現の曖昧さに味わいがあると言われますが、現代社会で生きて行くにはハッキリした意思表示が必要になりますもんね。

言わなくても分かってる、そんな気の利いた文化が廃れつつあるとしたら残念です。

 

小説を書いてて商品だなんていうのは抵抗感じるっていう人もあるんだよ。

金をもらって作家業というのに抵抗感じると。

それだったら雑誌社に原稿を渡して金をもらわなきゃいいんだよ。

おっしゃるとおり。

生業としてやっているなら、むしろ誇りを持ってお金を受け取るべきだと思います。それがプロというものじゃないのかなと・・・。

 

たまにはうんといい肉で贅沢なことをやってみないと、本当のすきやきの美味しさとか、肉の旨みというのが味わえない。

これ、分かる気がします。

私事ですが、ウニが大嫌いだと言っていた友人が、北海道で捕れたてのバフンウニを食べてから大好物になったというエピソードがあります。

 

 

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自分一人だけ、わがまま勝手な事を言って威張り散らすというのは、亭主関白でもなんでもない。

亭主関白には、亭主関白として周囲から認められるだけの器量が必要だというわけですね。

 

人間は、生まれ出た瞬間から、死へ向かって歩みはじめる。

死ぬために、生きはじめる。

後半は究極の言い回しですね・・・。

どういう死に方をするか、これが生きた証にもなると言いますから、それを目指して生きるのだと、そういう意味だと解釈します。

 

人間は、生まれた瞬間から死に向かって生きはじめる。

そして、生きるために食べなくてはならない。

なんという矛盾だろう。

先程の言葉に類似していますが、後半部分が異なりますね。

生まれた ⇒ 死に向かって生きる

生きる ⇒ 食べなくてはならない

前者は時間の経過から当然のことであって、後者は生きたいのなら食べるしかないわけで、これを矛盾ととらえるとするなら、何やら哲学じみてきて私の頭では理解できない領域であります。

 

生きているということの意味も、だんだんわかってくるでしょうね、ときどき「死」を思っていれば。

この言葉も考えさせられますが、次の言葉にも通じる何かを感じます。

 

人間は死ぬという事実こそが、自分を磨くための磨き砂だ。

いずれ死んでしまうのだから・・・という言い方をするのを、ちょくちょく耳にします。

だったら、好き勝手して無法に生きても良いのか、同じ好き勝手でも充実した人生を歩むことを目指すのか、この辺りは人それぞれに価値観が異なるようですね。

 

すべてがわかったようなつもりでいても、双方の思い違いは間々あることで、大形にいうならば、人の世の大半は、人々の「勘違い」によって成り立っているといってもよいほどなのだ。

これは、人間関係のあるところ全てにおいて言えることですね。仕事、恋愛、結婚、友情・・・。

自分ではない相手の考え方や心情なんて、完全に理解することなんて不可能なんです。

「この人は私のことを全部わかってくれている」なんて言葉を耳にすることがありますが、これはほぼ間違いなく幻想、思い込みです。

こんな勝手な思い込み、盲目的な信用が激しい関係であればあるほど、現実を知った時のショックは大きいことでしょうね。

冷たく聞こえるかも知れませんが、「所詮は他人」という意識を頭の片隅に置いておければ、むしろお互いのことを冷静かつ客観的に観察、判断できるのではないかと思います。

 

六十を過ぎると、あらゆる拘束が、あまり気にならなくなる。

何とか切り抜ける智恵も若い時と違って頭に浮かんでくる。

拘束を、楽しむ気分が生じてくる。

作家ならではの境遇について語っているのか、それとも万事についての表現なのか、なかなか難しい境地であります。

 

 

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