天の道を行う者は、天下こぞってそしっても屈しない。
その名を天下こぞって褒めても驕(おご)らない。
世のためと思って行動する者は、世の全ての人から貶されても屈することなく、逆に全ての人から褒められたとしても自惚れたりしないものだ、というような意味でしょう。
要するに、信念を持って正しい行いをしているのなら何ら後ろめたい気持ちを抱く必要はないし、仮にその行いが世間から絶賛されたとしてもいい気になるな、ということですかね。
断じて行えば鬼神もこれを避ける。
中国の『史記』に記された李斯伝からの引用だと思われます。
断固とした意志と態度で事を行えば、鬼神でさえも気圧されて避ける、と言っています。
つまり、確固たる決意で行動に移せば、どんなに困難なことでも成功できるという意味ですね。
敬天愛人
「天を敬い、人を愛する」という意味です。
西郷にとっては早くから意識された思想のようですが、この言葉自体は明治初期の啓蒙思想家・中村正直の『自序論(ヘルプ・セルフ)』にて表現化されたと言われています。
西郷にとっても自身の考えにマッチした言葉だったのでしょう。
徳に勤むる者は、これを求めずして、財自(おのず)から生ず。
人間としての徳を高めることに精進する人の下へは、求めなくとも財は集まって来る、という意味です。
この場合の財とは、必ずしもお金のことばかりではなくて、同志、仲間、パートナーといった人のことをも意味するのだと思います。
万民の上に位する者、己れを慎み、品行を正しくし、驕奢(きょうしゃ)を戒(いまし)め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。
日本の中枢に位置する方々や、自分本位の安易な理由だけで政治家を志すような輩に、厳しく言い聞かせてやりたい言葉であります(涙)。
事に当たり、思慮の乏しきを憂うることなかれ。
考え過ぎて停滞するよりも、まずは行動することが大切なんですよね。
何事も、やってみなければ全く先へ進みません。
足を踏み入れることで初めて直面する意外な問題もあるわけで、机上であれこれ悩むよりもずっと発展的なことなのかも知れません。
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思い切ってやりなさい。責任は私がとる。
世間のあらゆる組織の上に立つ人たちに口にして欲しい言葉・・・。
功立ち名顕るるにしたがい、いつしか自らを愛する心起こり、恐懼戒慎の意、緩み、驕矜の気、しばらく長じ、その成し得たる事業をたのみ、いやしくも我が事をし遂げんとまずき仕事に陥り、終に敗るるものにて、みな自ら招くなり。
ゆえに己に勝ちて、見ず聞かざるところに戒慎するものなり。
「恐懼戒慎(かいしんきょうく)」とは、書いて字のごとく「恐れ、つつしみ、いましめ、つつしむ」という意味です。
名声が高まった自分を大切にしたい思いが先走り、挙げ句は自ら大敗を招く結果になるという常を戒めているのでしょう。
そんな自分に打ち勝って、日頃から己を戒め、慎む気持ちが肝心なのですね。
道は天地自然の未知なる故、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修する克己をもって終始せよ。
己に勝つ極功は「意なし、必なし、固なし、我なし」と云えり。
道とは、それが天にあろうと地にあろうと先の知れないものなのだから、こと学問においては「敬天愛人(天を敬い人を愛する)」を目的として、私的な欲求や感情に打ち勝つ努力に終止するべきだ。
そのための極意は、(「論語」によれば)「意なし、必なし、固なし、我なし」と言われている。
道は決して多端なものでない。誠に簡単なものである。
ただ白と黒の区別があるだけである。
簡単なだけに、どちらを選ぶかは自分自身の志にかかっているわけですね。
およそ思慮は平生、黙座静思の際においてすべし。
深く考えるべき時には、心が穏やかな状態で、静かに座って考えるべきだと言っています。
徳盛んなるは官を盛んにし、功盛んなるは賞を盛んにする。
徳のある人には地位を与え、功績がある人には褒賞を与えろ、という意味です。
心慮り(おもんぱかり)て白と思えば決然として行う。しばらくも猶予すべからず。
心慮りて黒と思えば断然これを行わないことである。
よく考えて正しいと思えば、決然として即刻行動に移すべきだ、よく考えて誤りだと思えば、断じてこれを行動に移してはならない、という意味でしょう。
過去の過ちを悔しく思い、あれこれと取り繕おうと心配するのは、たとえば茶碗を割ってそのかけらを集めてみるのと同様何の役にも立たぬことである。
過去の失敗から反省したり学んだりすることは必要ですが、悔やんだり固執するのではなく前に進むことを考えるべきですよね。
次の言葉もこれと同じようなことを伝えているようです。
過ちを改めるにあたっては、自分から誤ったとさえ思いついたら、それで良い。
そのことをさっぱり思いすてて、すぐ一歩前進することだ。
事大小となく、正道を踏み至誠を推し、一事の詐謀を用うべからず。
事の大小に関係なく、真に正しい道筋を歩み、決して汚い真似をするな、と言っているのでしょう。
大事に望みては、機会は是非、引き起こさざるべからず。
大きな目標に向かって進もうとするなら、決行の機会は自ら積極的に作り出すべきだ、という意味です。
消極的な思いでただ待っていたって、好機が訪れるとは限らないし、見逃すことだってあるでしょう。
ならば、好機とは、自分から積極的に働きかけて生み出すべきものなのかも知れません。
世上の毀誉(きよ)軽きこと塵に似たり。
世間からけなされたり褒められたりする程度のことは、塵のように呆気なく忘れ去られるものだ。
これは、明治維新後に西郷が残した漢詩の冒頭部分です。自らのこれまでの生き様を回顧する内容だったようです。
天は人も我も同一に愛し給ふゆえ 我を愛する心をもって人を愛するなり。
天は他人も自分も分け隔てなく同等に愛してくれるのだから、自分を愛するのと同じような気持ちで他人をも愛するべきなのだ、といった意味です。
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