萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう)
1886年11月1日 ~ 1942年5月11日
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萩原朔太郎のプロフィール
萩原 朔太郎は、大正時代に近代詩の新しい地平を拓いたことから「日本近代詩の父」と称される詩人です。詩のほかに、随筆や小説、評論などの著作を残しています。
群馬県東群馬郡北曲輪町(現:前橋市千代田町一丁目)に生まれた朔太郎は、幼い頃から病弱かつ神経質で孤独を好んだと言われています。
1900年に旧制県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に入学した頃から従兄弟に短歌を教わり、在学中に級友と共に『野守』という回覧雑誌を出して短歌を発表しています。
1903年に与謝野鉄幹主宰の『明星』に短歌三首が掲載され、石川啄木らと共に「新詩社」の同人となりました。
その後、高校大学に進むも入退学を繰り返し、北原白秋の雑誌『朱欒』に初めて「みちゆき」ほか五編の詩を発表したのは1913年のことでした。そこで室生犀星(石川県金沢市生まれの詩人、小説家)と知り合い、室生とは生涯の友となっています。
1914年6月、室生犀星、山村暮鳥(詩人、児童文学者)と3人で詩・宗教・音楽の研究を目的とする「人魚詩社」を設立。
1915年、詩誌『卓上噴水』を創刊。「ゴンドラ洋楽会」を組織してマンドリンやギターを教授して前橋や高崎で演奏会を開催。
1916年6月、室生犀星との2人雑誌『感情』を創刊。
1917年2月、第一詩集『月に吠える』を感情詩社と白日社共刊により自費出版で刊行すると、森鴎外の絶賛を受けて詩壇の寵児となり、『文章世界』誌上において神秘主義・象徴主義論のきっかけをつくる論文を発表しています。
その後も多くの雑誌を刊行したり、明治大学文芸科の講師を務めるなどし、1935年に雑誌『文学界』に連載した「詩壇時評」により、第八回文学界賞を受賞しています。
処女詩集『月に吠える』で全国に名を知られるようになった朔太郎ですが、続いて1923年1月に刊行した『青猫』もこれと並ぶ代表作とされています。また北原白秋に次いで文化学院で教鞭を取ったことでも知られています。
また、『蝶を夢む』、『萩原朔太郎詩集』、それらを集成した『定本青猫』といった作品は口語体によって書かれ、高村光太郎と共に「口語自由詩の確立者」と呼ばれています。
1937年以降には多くの執筆、座談会、講演など、精力的に活動するも1940年後半から体調を崩し始め、1942年5月11日に急性肺炎のため55歳で死去。
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萩原朔太郎の格言&名言集
詩は悦ばしいものであるけれど、
詩を求める人生は幸福ではない。
「詩」という文学そのものは素敵なものであるけれど、それの作り手の人生は幸福ではない、という意味でしょうか・・・?
それとも、「詩」に何か(感動とか共感とか癒やしとか)を求める人生が幸福ではない、と言っているんでしょうか・・・?
これはなかなか難しいです。
社交の秘訣は、真実を語らないということではない。
真実を語ることによってさえも、相手を怒らせないようにする技術である。
これは何となく分かる気がしますね。
相手に遠慮とか忖度とか時には嘘をついてまで気を使う必要はないわけで、むしろ本当のことを上手に言葉を選んで、上手な言い回しで、気分を損なわないように伝えるという技術こそが、人間社会で暮らす秘訣なのだと・・・。
すごく難しいことなんですけどね。
すべての家庭人は、人生の半ばをあきらめて居る。
そうとばかりは言えないような気もしますが・・・。
家庭を、家族を、本気で人生の目的にする人がいても不思議なことではないと思います。家庭を持ったことで何かを犠牲にしたという被害者意識が強い人にとっては、諦めのような感情が湧いて来るのでしょうけれど。
「真面目になる」ということは、
しばしば「憂鬱になる」ということの外の、
何のいい意味でもありはしない。
「真面目」という言葉の意味をどう解釈するかで、萩原朔太郎が言わんとすることが見えてくるように思います。
間違いを放ってはおけず、物事に対して真摯に取り組む姿勢は魅力的に映るはず。しかし、あまりに頑なにスジを通そうとばかり考えると、その先には精神的な限界が待っていることでしょう。
人間、時には羽目を外して遊ぶなりして、心のバランスを保つことが大切なのだと思います。
どんな真面目な仕事も、
遊戯に熱している時ほどには、人を真面目にし得ない。
この場合の「真面目」とは、1つのことに真っ直ぐに、愚直に向き合うことを言うのかな?って思います。つまり、物事に没頭している、夢中になっている状態のことですね。
仕事を「仕事だから・・・」と割り切って取り組んでいる場合、自ら好んで興じる事と比べたら、それは確かに夢中にはなれないですよね。
女に於ける嫉妬は愛の高雅な情操によるのでなく、
実には猛獣の激情に類するところの、野蛮の本能によるのである。
女性の嫉妬は、気高く優雅な感情の動きなんかではなく、実は猛獣のごとき野蛮な本能からもたらされるものなのだ・・・みたいな意味でしょうか。
でもこれ、女性に限った話ではなく、男性だって同じような、あるいはそれ以上ものですよね。
男と女とが互いに相手を箒とし、味噌漉しとし、乳母車とし、貯金箱とし、ミシン機械とし、日曜の勝手道具と考える時、もはや必要から別れがたく、夫婦の実の愛情が生ずるのである。
お互いが必要だと感じることから、夫婦間の本当の愛情が生まれるのだ、という意味でしょうか。
そしてそれは、夫婦の日常の繰り返しによってのみ、いつしか定着する感情なのかも知れません。
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どんな妻たちも、決して夫のためには化粧しない。
え、そうなんですか!?
我々の子供は、我々の中での原始人である。
子供を怪獣に例えることがありますが、原始人だったら進化に期待が持てますね。
全てのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴う。
なるほど・・・。
詩に限った話ではなく、絵画にせよ、陶芸品にせよ、言葉にするとかえって損なわれる印象ってありますよね。そういう話かな?
酒は文明に対する一つの風刺である。
酒を飲む行為、酒に酔った状態のことを言っているのでしょう。それは時に人を愚かな行為に導きます。
いくら文明を発展させて来たからって、人間だって所詮は本能、本性をコントロールできない生き物なのだと思うわけです。
地球上の頂点に立ったかのように驕り高ぶる人類にとって、その皮を剥ぐ役割をする酒の存在は、ある意味「風刺」と言えるのかも知れません。
雑婚から一夫一妻制度へ。
一夫一妻から多夫多妻制度へ。
時代はかく必然に推移して行く。
崇高な不徳は讃美される。
だが卑陋なけち臭い者共は、どんな事情に於ても許され得ない。
気高くて尊い行いの末の失敗、違反は褒め称えられるが、卑しく下品な輩の失敗や違反は、どんな事情があったとしても許されることはない。
前者を例えるなら、スポーツ競技で不本意ながら犯してしまった反則のような?
要するに、同じ誤ちであったとしても、その人の志が問題なのだ、と言うことでしょうか。
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