芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)
1892年3月1日 ~ 1927年7月24日
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芥川龍之介のプロフィール
芥川龍之介は、日本の小説家です。
本名同じ。
号は澄江堂主人。
俳号は我鬼。
その作品の多くは短編小説です。
「芋粥」「藪の中」「地獄変」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多く残されています。
また、「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いています。
1927年(昭和2年)7月24日、服毒により田端の自室で自ら生涯を閉じています。
享年35。
「水洟(みづぱな)や 鼻の先だけ 暮れ残る」が辞世の句とされています。
純文学の新人に与えられる『芥川賞』は、芥川龍之介の業績を記念して、友人であった菊池寛が1935年に直木三十五賞(直木賞)とともに創設した文学賞です。
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芥川龍之介の格言&名言集
人生を幸福にするためには、日常の瑣事(さじ=小さなこと)を愛さなければならぬ。
芥川龍之介「侏儒の言葉」
日頃のちょっとしたことに喜びを感じられる人は、きっと人生そのものが幸福になることでしょう。
運命は偶然よりも必然である。
「運命は性格の中にある」といふ言葉はけっして等閑(なおざり)に生まれたものではない。
その人の思考や視点が行動を決めるとするなら、そこで起こる出来事は確かに必然なのかも知れません。それが嫌なら自己を改革するしかないのでしょう。
思慮浅く暮らしていると、いずれ大きな災に遭遇するかも知れません。
分かるような気もする言葉ですが、過去の経験から事例を拾おうと考えてみても、なかなか思いつくことがありません。真実とは案外不安定でもろいものなのかも知れませんね。
クリストはみづから燃え尽きようとする一本のローソクにそつくりである。
芥川龍之介 「続西方の人」
与論は常に私刑である。私刑は常に娯楽である。
芥川龍之介「侏儒の言葉」
何事かに賛同したり批判したりする中には、どこか他人事のように楽しんでいる気分があるのかも知れません。でもそれが、巡り巡って自分の身に影響することだとしたら・・・。
人生の悲劇の第一幕は親子となつたことにはじまつてゐる。
芥川龍之介「侏儒の言葉」
親子になった奇跡を悲劇と表現するあたりに、何かしらの闇を感じずにはおられません。
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人生は地獄よりも地獄的である。
芥川龍之介「侏儒の言葉」
生きることに地獄しか見い出せないとすれば、それ以上の地獄はないのでしょう。
古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔してゐる。
芥川龍之介「侏儒の言葉」
人は結局何かにすがって生きているんですよね。でも、人間自身が作り上げた社会にすがる状況というのは、なんとも不可思議なものに感じられます。
天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。
芥川龍之介「侏儒の言葉」
その僅かな一歩の差は、努力で縮められるものだと思いたいですね。
天才の悲劇は「小ぢんまりした、居心地のよい名声」を与へられることである。
芥川龍之介「侏儒の言葉」
「小ぢんまりした、居心地のよい名声」を受け入れる天才と、拒否する天才とがいるのではないかと思います。
子供に対する母親の愛は、もっとも利己心のない愛である。
芥川龍之介「侏儒の言葉」
「無償の愛」などと言われますが、母親の子に対する自己犠牲にも似た愛情ほどありがたいものはありません。時にこれが歪んで実の母とは思えない犯行が報じられると不思議でなりません。
歪んだ社会のルールや常識とは別の所に、道徳は成り立つべきだと思います。
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