懐疑は発明の父である。
懐疑は発明の父で、失敗は成功の母なのですね。
学者は、それゆえという言葉をしきりに使うが、なにゆえ、それゆえなのか俗人には分からない。
なにか、偉そうな言葉で誤魔化されているようだ。
これを本当にガリレオが言ったとするなら面白いですよね。私のような俗人の代弁をしているみたいで。
感覚が役に立たないとき、理性が役に立ち始めるのだ。
これは逆だと思っていました・・・。
聖書は我々にいかに天へ行くかを教える。
いかに諸天体が動くかを教えるのではない。
聖書は天文学の書ではないですもんね。
哲学はわれわれの目の前にひろげられているこの巨大な書物、つまり宇宙に書かれている。
宇宙こそが真理だと言うんでしょうね。でも読み解くには数学という術しかないと・・・。
自然はわれわれの知性にとっては限りなく驚嘆すべきことを最高度の容易さと単純さとで行なっている。
少なくとも地球上においては、自然こそが最も畏れ敬うべきものなんですよね。
書物よりも見たり聞いたりすること、地位よりも経験が第一の教育者だ。
より直接的にインプットされることほど、理解しやすく残りやすいように思います。
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見えないと始まらない。
見ようとしないと始まらない。
研究するとは、そういうことなんでしょう。
それでも地球は動いている。
※ 出典元や参考文献等が不明のものは、現在調査中のため表記されておりませんが、詳細がわかり次第追記および分類を施して参ります。
※ なお、名言や格言の中には、当サイト独自の編集(省略、意訳、要約等)を施している場合がありますことをご承知おきくださいませ。
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