どんな失敗も、光明への踏み石となりうることを忘れてはならない。
ほんと、成功者の誰もがほぼ間違いなく口にする類の言葉です。
何を始めるにしても、ゼロからのスタートではない。
失敗や無駄だと思われたことなどを含め、今までの人生で学んできたことを、決して低く評価する必要は無い。
失敗だろうと何だろうと、過去の経験はきっと今から始める事へのヒントや土台になるはずなんですよね。
他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である。
「最も奉仕する者が最大の利益を得る。我が身の前に他人に奉仕せよ」とも言っています。
商売についてだけでなく、人生においても響いて来る言葉ですね。
この国の薄汚い安食堂ではフライドチキンをメニューに掲げていて、だいたいはサザン・フライドチキンと呼んでいる。
しかしそいつはフランス式のフライ鍋で魚やエビやタマネギなんかと一緒に揚げる。
私のフライドチキンはそれらと一緒にしてほしくなかった。
だから私は、ケンタッキー・フライドチキンと呼ぶことにした。
思い起こせば、最初にフライドチキンを提供したのもケンタッキー州だったからね。
フライドチキンという料理自体は存在していたんですね。でも、それらに比べて、カーネル・サンダースのフライドチキンは画期的な製法だったわけですよね。
信じてもらうのは難しいかもしれないが、1か月で12,000ドルを売り上げたものだ。
これはガソリンスタンドができて以来、他人の3倍にも相当する額だった。
ハードワークは割に合う。このことが証明されたわけだ。
カーネル・サンダースは40歳になる1930年に、ケンタッキー州でガソリンスタンドの経営を始めています。
その頃、客から言われた一言から始めた小さなレストランがサンダース・カフェの前身です。
私の指示通り料理をつくらないなら、お前の皮を剥いでやるぞ。
自分の調理方法に確固たる自信を持っていたんですね。そしてそれこそが客を喜ばせる方法であることも知っていたんでしょう。
なあ、きみ。4セントを誤魔化そうとする男が、ビジネスで成功すると思うかい? 思わんだろ。
日本円にして4、5円。これを誤魔化そうという人がいたとしたら、それだけで驚きですが・・・。
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店を清潔にしなさい。
スタッフには礼儀正しくさせなさい。
美味しい料理を出しなさい。
あとは懸命に働きなさい。
これで成功できるとは限らないが、成功への第一歩にはなるだろう。
少なくともカーネル・サンダースは、こうした条件を守りながら歩んだのでしょうね。
(73歳当時、ケンタッキー・フライドチキンを売却した理由について)
このころ、私がやろうと考えていたことは何も実行されずじまいだった。
そして私の会社の潜在能力を引き出すには、大きな組織が必要だと考えるようになった。
私はいろんなことをやってきた。しかし、私は組織人ではなかった。
カーネル・サンダースは、1964年にKFCの権利をジョン・ヤング・ブラウン・ジュニア(実業家、政治家、第55代ケンタッキー州知事)に売却しています。
その後、KFCは世界的なチェーンとして拡大しましたが、サンダースは「味の親善大使」という立場で世界中の店舗を見て回り、自らが開発したフライドチキンの製法が守られているかをチェックしたんだそうです。
ロータリー・クラブ(※)のメンバーとして迎えられたとき、私は彼らのスローガンに心打たれた。
「最も奉仕する者が最大の利益を得る。我が身の前に他人に奉仕せよ」
以来私は、ものごとを行う際、これら2つのモットーに従うように努めてきた。
※ 国際的な社会奉仕連合団体「国際ロータリー」に属するクラブ
なぜ引退しないのですかと聞かれたら、私はこう答える。
「錆びつくより、擦り切れる方がましだ」
じっとしていて錆びつくより、身を粉にしている方が好きなんだ。
根っからの働き者なんでしょう。
じっとしていられず、何事も先頭に立って動かなければ気の済まないタイプなのかな・・・。
私はずっとネガティブセールスマンだった。
見込み客に
「いらっしゃい。手に取ってみてください」
と言う代わりに、
「品質にこだわらないならば、うちの商品を選んでもらう必要はありません」
と言うんだ。
私見ながらこれが最も有効な販売方法だ。
確かに、どうせなら良い物が欲しいという買い手の気持ちが動くことでしょう。
でも、自社製品に本当に自信がなければ不可能なセールストークですよね。
私が良い気分になれるのは、初めて私のチキンを食べた人を見るときだ。
私は何百万の食卓に素晴らしいチキンを届ける手伝いができたことを誇りに思っている。
そう、こういう自信のことです。
誇らしげに言っているけれど、顧客目線であることが素敵です。
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私にとってお金がすべてではない。
私は良いことや人を助けることに興味を持ってきた。
36年以上前に参加したロータリー・クラブ(※)のスローガンが「我が身の前に他人に奉仕せよ」といっているように。
※ 国際的な社会奉仕連合団体「国際ロータリー」に属するクラブ
できることなら私も、現代の日本のカーネル・サンダースに出会いたいものです(笑)。
私がビジネスを築き上げることができたのは、つまるところ人だ。
私のフランチャイズ加盟者は働き者で、熱心で、正直な人たちだ。
彼らがあって、私の今があるということだ。
逆に言えば、そういう人たちであることを見抜いた上で引き込んできたわけで、カーネル・サンダース自身の見る目があったとも言えるのでしょう。
ベッドに入ったらあれこれ悩まないことだ。
とてもつらかったコービン時代以来、私はずっとそうしてきた。
カーネル・サンダースは、1930年にケンタッキー州コービン近郊に移り住み、ガソリンスタンド経営のかたわらKFCの前身となるサンダース・カフェを開いています。
1939年には店舗の火災に遭い、1955年には州間高速道路75号線の開通に伴う客足の激減によって店舗を手放すなどの苦労を味わっています。
人は60歳や65歳になると人生これで終わりと思うものだ。
しかし、その人の年齢は、自分が感じた歳、思い込んだ歳で決まる。
歳がいくつであろうと、やれる仕事はたくさんある。
「永遠の18歳」なんていう考え方も、それはそれで良いことかも知れないですね。常識とルールさえわきまえていれば。
高齢化が進む世間にあっては、60歳や65歳では嫌でも働かなくてはならなくなるんじゃないでしょうか。
私たちは、私たちの考えに共感する人たちとだけ仕事をしてきた。
そもそも理念に共感しない人を選んでも、トレーニングする意味がないからね。
やはりこうやってフランチャイジーを選別してきたんですね。
世間には本当にいろいろな人がいるので、この工程はものすごく大切なことだと思います。
安易な道は効率的だし時間もかからない。
困難な道は骨が折れるし時間もかかる。
しかし、時計の針が進むにしたがって、容易だった道が困難になり、困難だった道が容易になるものだ。
最初から楽な道を選ぼうとすれば、いつかきっと自滅することになりそうです。
就職活動に身を入れなかった、当時大学卒業間近だった私に厳しく言って聞かせたいものであります。
私には指針にしていた教訓がある。
人は「できる」とか、「したい」と思う分だけ実現できるものだ。
可能性とは、自信と情熱の度合いによって変わるものなのかも知れません。
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