【カーネル・サンダースの格言&名言集】ケンタッキーフライドチキン創業者の心に響く言葉たち

幸いなことに、このアメリカという国では地球上のどこよりも高みにまで登れ、一番大きなことを考えられ、強く成長でき、深く生きることができます。

この国のルールは誰にでも平等に勝つチャンスを与えてくれているのです。私はそれに従っただけなのです。

かつては“自由の国”と呼ばれたアメリカ・・・現在はどうなんでしょうか。そして日本は・・・?

 

私が仕事をする上での秘訣があるとするなら、きつい骨も折れるような仕事も厭わないということです。

重労働が当たり前の農家で育ちましたからね。

労を惜しまない心と体力が兼ね備わっているなら、これは本当に頼もしいことです。

私の母親は古い昭和の人ですが、人を褒める大きな理由の1つに「働き者」という条件があるようです。

 

あなたは本当に老いていくのではありません。

自分が老いたと感じた分だけ、思い込んだ分だけ歳を取るのです。

あなた自身が “歳を取った” と思わない限り、いくつになってもやれる仕事はたくさんあるのです。

何事も気持ちの持ちようなのですね。

 

人生はその人の生き様によってつくられるものだ。

人生を良くするのも悪くするのも、その人次第ってことなんでしょう。

 

65歳になった人なら誰にでも、積み上げてきた経験というものがあります。

山もあれば谷もあり、人生には試練もあれば辛酸をなめることも一度や二度ではないでしょう。

その経験から活かせるものがないはずはありません。

65歳までにあなたが手に入れてきたことを結集させれば、きっと新しいスタートが切れますよ。

60歳を超えてフライドチキンのフランチャイズ化を始め、70歳にして成功を成し遂げたというカーネル・サンダースの言葉です。

 

成功を導くためのインセンティブはオーナー各個人に任せました。

彼らが店を大きくしたのです。だから、私自身はプロモーションの仕事を買ってでることができたのです。

広告代理店により “つくり出された人物” ではなく、“真剣に生きている生身の人” であることが大切なのです。

人間味と食を結びつける、ということなのです。

カーネル・サンダース本人が見事に広告塔になり、ケンタッキーフライドチキンのシンボル的な存在になっていますもんね。

そこにもやはり戦略があったんですね。

 

フランチャイズ店舗は私の子どもだと思っています。

彼らのためだったら、いつでも一肌脱ぎますよ。

これがフランチャイズというビジネスモデルを確立した人の言葉です。

現在のどこかのコンビニにも聞かせてやりたいものですね。

 

 

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私は自分の最善を尽くしてきました。

お説教するつもりはありませんが、最善を尽くしてきたからこそ、いま、私はその見返りを享受しているのです。

私のアイディアから広がっていった『ケンタッキーフライドチキン』という会社が今も成長しているという事実がなによりの証拠ではありませんか。

私などは成功者を見るとただただ羨ましいばかりなのですが、みな一様に何かにひたむきに取り組んで頑張った結果を手にしているだけなんですよね。

 

私のビジネス哲学は、10歳の時、月給たった2ドルの農場仕事をクビになった時に固まりました。

母に言われた通り、「人生の良きことは働くことによってのみ手に入れられるのだ」とね。

10歳のカーネル少年は、農場の仕事をサボっちゃったのかな・・・?

 

神様は私たちすべての人間ひとりひとりを、なにかの目的のために地上に遭わしてくれたと思うのです。

そう考えることで人生のモチベーションが高まるのであれば、素晴らしい考え方だと思います。

 

一番大切なことは、誰か他人のために善きことを行うにしても、やってしまったことを償うにしても、人生に無駄なことはないということ。

すべての行いに意味がある。

その行いに関わった人から、また更に別の人へと伝わって、図らずも周囲に少なからず影響を与える・・・そんなことってありますよね。

 

私はすでにビジネスを運営、管理する立場にはありません。

でもこの仕事には心血を注ぎましたから、私の心からは決して引き離すことはできませんね。私の血肉なのです。

これは死ぬまでずっとそのままだと思います。

こうして人に語れる、誇れることが、将来の自分に残せるだろうかと考えさせられます。

 

新しいフランチャイズ契約を交わすと、契約者は奥様を伴って私のところに3、4日やってきて、フライドチキンのつくり方を学のですが、そういう人たちを私はまるで王様や王子様のようにもてなし、ご馳走を自らふるまったのです。

こういう姿勢が素晴らしいですよね。結果として、自分が丹精を込めて開発した調理法が歪むことなく広がったわけですもんね。

 

“私のもとで働く人は、自宅ですらタバコを吸ってはいけない” というルールを決めました。

私が支払う給料は、燃やして煙にしてしまうためのお金ではなく、家族においしい食事を出すためのお金、なにか人生を豊かにするために蓄えておくお金として使ってもらいたいのです。

理由が意外でした。味覚に関することだとばかり思っていたので・・・。

タバコを吸うとは、燃やして煙にしてしまうためにお金を使う行為なのですね。ちょっと新しい視点でした。

 

 

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私の顔が、誰もが知っているシンボルになったことをいまでは誇らしく思っています。

今もなお、世界の誰もが知るシンボルですもんね。プロモーションとしての戦略は見事に的中していたわけです。

 

66歳の男がゼロから再スタート―――そう考えるとたじろぐかもしれませんが、この頃が私の人生で最も刺激的な時間でした。

年齢を考えればたしかにチャレンジでしたが、私は自分のフライドチキンと自分自身、そしてやり遂げる能力を信頼していたのです。

60代にして人生最高の刺激を味わう・・・。なんだか勇気を与えられるお話です。

 

チキンと自分の能力には自信のあった私ですが、本当のことを言うと、私は自分の顔写真が、なにかに使われるのは好きではありませんでした。

(私の顔は…まるでマグカップみたいだ…!)なんて思っていましたからね。

ご自分の顔がシンボルになったことを誇らしいと語っているカーネル・サンダースですが、当初はこんな風に思っていたんですね。

マグカップみたいって、なんだかユーモアのある愛すべき人物だったようですね。

 

私が思うに、街の小さなレストランの場合、提供するメニューはあまりバラエティ豊富にしないほうが賢明でしょう。

そして量より質でメニューを揃えることをお薦めします。

そうすることで、食事に心を込めて細やかな注意を払えるからです。

私が若い頃に働いた某ハンバーガーレストランに行って聞かせてやりたい言葉です。

次々に新しいメニューが開発されるんですが、そのたびにアルバイトはてんやわんやで、カスタマーサービスどころではなくなってしまうのです。

 

私はある義務感を感じずにはいられませんでした(お客様に出す食事が “間違いなくおいしい” ことを保証するのが、私と店にとっての大切な道徳上の義務だ)。

そして私はその義務を果たすことを守り通すことができました。

ほとんどすべてのお客様が、私が提供する食事を喜んでくれましたから。

提供するサービスとそれに見合う対価というのが商売の概念だと思いますが、そこに道徳上の義務を持ち出すあたり、相当に強い信念を感じます。

 

私は財産をビジネスに費やしていき、とうとう無一文になってしまったのです。

ですが、私は同時にお金にはかえられない大切なもの、私がこの世で最も好きなものを手に入れることができました。

それはひとです。

1955年、州間高速道路75号線が開通した影響によって客が入らなくなってしまった時のサンダース・カフェ。カーネル・サンダースは店を手放すも、負債の返済によってほぼ無一文になったと言います。

その後、フライドチキンをワゴン車に積んで各地を回り、徐々にフランチャイズを広げて行ったんですね。

 

(高利貸しの融資について)

高利貸しが1ドル儲ける間に、私は2ドル儲けるわけですからね。

私にとっては大した利息ではないですよ。

 

 

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