アラン(エミール=オーギュスト・シャルティエ)
1868年3月3日 ~ 1951年6月2日
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アラン(Alain)のプロフィール
アラン(Alain)ことエミール=オーギュスト・シャルティエ(Emile-Auguste Chartier)は、フランス帝国(フランス第二帝政)ノルマンディー・モルターニュ=オー=ペルシュ出身の哲学者、評論家、モラリストです。
『アラン』はペンネームで、フランス中世の詩人・作家であるアラン・シャルティエに由来します。
エコール・ノルマル・シュペリウール卒業後に高校の哲学教師になり、その後、アランの名でデペーシュ・ド・ルーアン紙に哲学コラムを寄稿するようになりました。
46歳で第一次世界大戦に志願し従軍していますが、これは、戦争の愚劣さを体験するためだったと言われています。
その後、65歳まで教職を続け、83歳で亡くなるまで執筆活動を行いました。
1925年に著された『幸福論』で知られ、哲学者や評論家としても活動し、アンリ・ベルクソンやポール・ヴァレリーと並んで、合理的ヒューマニズムの思想は20世紀前半のフランスの思想に大きな影響を与えました。
アランの弟子で同国出身の小説家、評論家であるアンドレ・モーロワは、1949年にアランの伝記や教えをまとめた『アラン(Alain)』の中で、アランを「現代のソクラテス」と評しています。
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アラン(Alain)の格言&名言集
幸福というものの中には、人が考えるよりも意志の力が働いている。
アラン『幸福論』より
何をもって幸福と呼ぶかは、その人の考え方次第ですよね。
なかなか難しいことではありますが、心掛けの問題なのでしょうか。
不機嫌というものは、結果でもあるが、それに劣らず原因でもある。
アラン『幸福論』より
自分の不機嫌は周囲にも波及するだろうし、負の連鎖を生み出すことにもなりそうです。
何事も楽しんで上機嫌に振る舞うには、やはり意志の力が重要になってくるんですね。
ネガティブな思考は現実となって襲ってくるものなのかも知れません。
あれこれと考え込んでいる人は、けっして決めることができない。
アラン『幸福論』より
決断という行動には、慎重さよりも思い切りの方が良い方向へ作用するのでしょうか。
いかなる職業でも自分が支配する限り愉快であり、
服従する限り不愉快である。アラン『幸福論』より
好きなことを仕事にすると嫌いになる、なんて話を聞きますが、仕事そのものよりも組織という枠組みに原因があるのかも知れません。
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子供たちに幸福である法をしっかり教えるべきであろう。
頭上に不幸がふりかかるときに幸福である法のことではない。
周囲の状況がそう悪くもなく、人生の苦しみが些細な心配事や不快事にとどまるような場合に幸福である法のことだ。
アラン『幸福論』より
今いる日常の中にこそ幸福を実感するべき・・・ということかな。
愛の情念は健康に良く、憎しみは健康に悪い。
アラン『幸福論』より
愛情は健康的で、憎悪は不健康・・・一概には言えない気もしますが、もっと深く話を聞いてみたいところです。
人はそうあるべき、という姿なのでしょう。でも、棚ぼた式の幸福を絶えず求めている人が多いのも事実ではないでしょうか。
幸福たらんと欲しなければ、絶対に幸福にはなれない。
アラン『幸福論』より
人は求めに応じて行動を起こすものですから、幸せになりたいと思えば、そのために必要な行動をするわけですね。
この言葉だけを切り取ると、単純に同意できない気もします。幸福な家庭を築くために懸命に働く人も相当数いるはずですからね。何か別に深い意味があるのかな・・・。
自分が幸福に生きるためには、家族のために、あらん限りの努力をつくすべきである。
アラン『幸福論』より
なるほど、先程の言葉と連動しているのですね。
なんだかちょっとホッとしました^^;
社会生活においては受動的ではなく能動的でなければダメなのですね。そう考えると思い当たる経験があります。
どんな運命も、それを良いものにしようと欲するならば、良い運命となるのだ。
アラン『幸福論』より
先程の『幸福たらんと欲しなければ、絶対に幸福にはなれない。』と同義ともとれる言葉ですね。いずれの裏にも、そのための努力の必要性が潜んでいるように思います。
※ 出典元や参考文献等が不明のものは、現在調査中のため表記されておりませんが、詳細がわかり次第追記および分類を施して参ります。
※ なお、名言や格言の中には、当サイト独自の編集(省略、意訳、要約等)を施している場合がありますことをご承知おきくださいませ。
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