【会津八一の格言&名言集】新潟の歌人書家の心に響く言葉たち

 

会津 八一(あいづ やいち)

1881年8月1日 ~ 1956年11月21日

 

出典:Wikipedia

 

 

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会津八一のプロフィール

会津八一(あいづ やいち)は、新潟県新潟市古町通五番町に生まれた歌人、美術史家、書道家です。。

雅号は、秋艸道人、渾斎と称します。

 

少年時代から和歌に親しみ、東京専門学校(早稲田大学の前身)に入学すると、坪内逍遥や小泉八雲らの講義を受けました。

大学卒業後、故郷の新潟で英語教師として教鞭をとりますが、坪内逍遥に招かれて再び上京し、1918年には早稲田中学校の教頭になっています。

 

その一方で、1924年に初の歌集『南京新唱』を、1940年には歌集『鹿鳴集』を、1944年には歌集『山光集』を、そして1951年には読売文学賞を受賞した『会津八一全歌集』を刊行するなど、歌人としても活躍しました。

 

また、東洋美術史の研究家としても知られ、早稲田大学で東洋美術史を教えたほか、雑誌『東洋美術』の編集にも携わっています。

さらに書道家として、1941年に書画図録『渾齋近墨』を刊行しています。

 

1951年に新潟市名誉市民に選ばれるも、1956年11月16日に胃潰瘍のため新潟医科大学病院に入院、21日に冠状動脈硬化症により75歳でこの世を去りました。

 

ちなみに、新潟県の地方紙「新潟日報」の題字は会津によるものです。

 

 

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会津八一の格言&名言集

一、ふかくこの生を愛すべし一、かへりみて己を知るべし

一、学藝を以って性を養うべし

一、日々新面目あるべし

秋艸道人

 

「秋艸道人」は会津八一の雅号です。

そう、この四則は会津が書き起こした「学規」であり、故郷の新潟から上京してきた3人の受験生をあずかった際に、机をならべた部屋の床の間の壁に貼ったことが始まりとされています。

『学藝を以って性を養うべし』とは、知識を得て自己を表現することは、人間が本来持っている性(本能)であるから、これを磨くことでおのれをさらに高めよう、というような意味と思われます。

また、「新面目」とは、「しんめんもく、しんめんぼく」と読み、今までにみられなかった新しい姿、ありさまを言います。

日々自己研鑽して、新しい発見をし、新しい自分に成長せよ、といった意味かと思われます。

 

 

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